18『流砂の怪物』



 いかな英雄とて月で化け物退治は出来ない。
 よって厳しい環境に適応した動物ほど恐いものはいない。

 彼等は暑さや寒さに動じる事はない。
 飢餓にいちいち運動能力を落とす事もない。
 更に悪い事に厳しい環境にいる動物の大抵は獰猛だ。

 食う時に確実に殺さなければならず、食べられないように、確実に身を守らなければならない。
 相手が、自分より遥かに大きな者が相手でも。



 さて、時間は少し遡る。
 ところは第二決闘場、通称“流砂の決闘場”。規模は第一決闘場とさほど変わりはないが、形状は四角形、そして第一決闘場の場合、バトルフィールドは砂丘になっていたが、こちらの場合は通称が表すように流砂になっている。
 別に、カンファータ王国が流砂を発生させる魔導装置を仕掛けている訳ではない。建物の形状が為せる技なのか、とにかくはじめからそこに流砂はあった。

 大会中は決勝戦を除き、大決闘場は使用出来ない。
 しかし、その他に四つある各決闘場は解放されている。
 先ず、二人で決闘の申し込みをし、合意の上で二人して決闘場に赴いて、各決闘場にカンファータ王国から係員が配備されているブースで簡単な手続きをするだけでOKだ。
 こちらのほうが高い確率で名勝負が見られるので決闘大会を見に来た観光客達、そしてファトルエルの住人達はこの決闘場に集まる。
 ただし四つの決闘場のうち、どの決闘場で名勝負が見られるのかは運次第である。

 今も、観客席はびっしり埋まり、大いに湧いていた。
 この試合は殊更にそうである。

 “完壁”カルク=ジーマンの弟子・カーエス=ルジュリス
            VS
 今大会の本命“クリーチャー”デュラス=アーサー

 三大勢力の魔導士同士の対決に観衆は時には息を飲み、激しい攻防に歓声が上がる。
 試合は一段落したのか、四隅に小さく存在する、砂の流れていない足場に立ち、向かい合ってお互い睨み合っている。

(今までのは小手調べ……こっから本気で来るんやろな)と、カーエスは向こう側の隅に立ち、ニヤニヤと印象の悪い笑みを浮かべながらこちらを見ているデュラスをジロリと睨んだ。
 その目は明らかに敵意が込められている。

(絶対に勝ったる……!)

 彼のこの意気込み振りには少しばかり理由がある。
 それを説明するにはもう少し時間を戻さなければならない。


   *****************************


 それは朝、空が完全に白みきった頃だった。
 ファルガールの弟子・リクの例に漏れず、カルクの弟子であるカーエスにも集団で奇襲を加えようという集団が大通りの宿『ルーフトー・レスト』の表口と裏口を固めて待ち構えていた。
 しかしリクの宿とは違い、優勝候補の一角“双龍”のクリン=クランがいる。
 それだけでも十分なのに、十五年前の準優勝者“完壁”のカルク=ジーマン、“冷炎の魔女”と呼ばれるマーシア=ミスターシャまでいる。
 もう一人の参加者であるフィラレス=ルクマースを襲おうという事もあったが、どうも少女を襲うのは気が引けるし、マーシアの弟子よりカルクの弟子を倒した方が名が上がる。
 そういう訳でこの宿の新人で狙うのはただ一人、カーエス=ルジュリスだ。

 事前に便利屋を忍び込ませ、出て行くのがカーエス以外なら、さり気なく道を開け、カーエスが出て行く番になると、合図をくれる事になっている。

「なあ、カーエス=ルジュリスが誰かと一緒に出て来たらどうするんだ?」
「……どうする?」

 この辺の会話に彼等の無計画さが見て取れる。
 しかし、運は彼等に味方したようだ。

「おい、アイツが出てくるぞ、一人でだ」

 合図を受け取った男が他の者に告げた。
 すると四人いきり立ち、各々武器を手に身構える。
 そして扉が開くと同時に突っ込んだ。

「防ぐな、返せ《弾きの壁》」

 その言葉と共に、男達の武器が四人の目標・カーエスの手前で止まった。
 一瞬後、「うわあぁぁぁっ!」と、その男達全員が四方八方に吹っ飛ばされる。
 彼、カーエスはそうして宿の中からスッキリした玄関先に姿を表し、みっともなく気絶している連中を眺め、情けなさそうに深いため息を付いた。

「阿呆なヤツらやなぁ。初っ端でみんなで手ェ組んで弱いモン潰しに行く……典型的な悪役雑魚やないかい。弱きを助け、悪を挫く正義の主人公にならんかい、正義の主人公に」

 説教じみた独り言を漏らした彼は倒した男達の“腕輪”を集めて砂に還したあと、あたりを見回した。

「他に俺狙っとる奴はおらんかいな」

 しかし、宿がわりと広さのない道に面していたので、辺りがどうも見渡しにくい。
 と、その時、何者かが頭上から彼めがけて飛びかかってきた。それに気付いたカーエスは、少し自分の立ち位置をかえると、地面に向かって手をかざす。

「この場に在るもの縛るは《更なる重力》!」

 するとその地面に黒く小さな魔法陣が現れた。
 その真上に居たその男の落下速度がにわかに早くなる。

「う、うわぁぁぁ!」

 突然の重力変化に男は体勢を崩し、背中から地面に落ち、そのままぴくぴくと痙攣して動かなくなった。
 カーエスは全員の腕輪をとり終わると、開いたままの扉に向かって笑いかけた。

「先生、片付きましたで」
「ああ、なかなかいい手際だった」と、扉の中からカルクが出てくる。「これだけ大勢の人間を相手に、動じないで対処できるのは実践的な実力がついている証拠だ。特に最後のは見事だった」

 師の褒め言葉にカーエスは嬉しそうに頷いた。
 そしてゴホンと一つせき払いをすると、改まった表情で切り出す。

「ところで先生」
「何だ?」
「昨日、アイツと何話してはったんですか?」

 そう尋ねてはいるものの、実はカーエスは会話を全部聞いていた。
 そして、その時の師から発せられる言葉の数々は、カーエスからすると別人の様に感情の起伏が激しかった。
 特に最後に彼がリクに掛けた言葉。あれは彼が聞いたカルクの発言の中で一番暖かいものだった。
 これはカーエスのカルクに対する一つの試みだった。

「私と彼の関係は知っているだろう?」
「ええ、先生のライバルやった奴の弟子でしょう?」
「だったら話題は一つ。ファルガールの話だよ」

 試みの結果はあまり思わしくなかった。
 ごまかされるとは。

 この七、八年、魔導学校の一師一弟子制の導入により、カルクに選ばれて以来、彼はずっとカルクと一緒にいた。
 だから全部とは言わないまでも、カルクの事はよく知っている。
 彼は正直者であるが故に嘘がつけず、どうしても言いたくない時は、外れずも近くはない遠回しな言い方でごまかし、話題を変えて逃げる事もだ。

 誤魔化されるのは初めての事ではないが、それをされてカーエスにとってあまり好ましく思えず、彼に何とも言えない嫌な感情が沸き起こるのはこれが初めてだった。
 彼は頭を振って、その感情を奥に引っ込めると、気を取り直す。カーエスが歩き出そうとすると、その正面から、誰かが歩いてくるのが見えた。
 その姿に彼等は見覚えがあった。
 誰もが目を見張るほど長身だが、それ以上に驚かれるのはひょろりと長く伸びた手足だ。そのシルエットは夕日か朝日に照らされ、長く伸びた影のようだ。

「くっくっく……なかなか見事なモンだったぜ。カルク=ジーマンのお弟子さんよ」
「デュラス=アーサーか。何の用だ?」と、カルクはデュラスの人を小馬鹿にした態度にも動じない。カーエスはと言うと、正直に不快を表情に表していたが。
 デュラスはそれを聞いて、口元に浮かべていた嘲笑を更に露骨なものにした。

「何の用だ、とは御挨拶だねェ、決まってるじゃねェか。あんたの自慢の弟子に挑戦しにきたんだよ」
「カーエスに?」
「何か都合の悪い事でもあるのかなぁ?」

 彼等にはデュラスが何を言わんとしているかは良く分かった。
 ファルガールとカルクの名勝負は、今や伝説となっている。
 そして十五年経った今も、決闘大会が始まれば先ず思い出すのがその決勝戦の事なのだ。
 ファトルエルで無敵を誇り、今大会本命で、もっと集中的に注目されてもおかしくない自分を霞ませるのは尾ひれに腹びれのついたその伝説であると思っているらしい。

 しかも腹立たしい事には、十五年前のファルガールやカルクの方が今の自分より強いと思われている事なのだ。
 何とか自分の方が強い事を証明してみせたいが、流石に今のカルクとやって勝っても仕様がないし、どう足掻いても十五年前のカルクとは戦えない。
 だから取り敢えず下のカーエスでも軽くひねって、カルクに恥を掻かせてやろうと考えたのだ。

「あらへん。やるならとっととやらかそうやないか」

 カーエスが今からでも飛びかかりたいくらいの気持ちを抑えて答えると、デュラスは思いきり見下しているその目をカーエスの目に近付けた。

「そうかァ? カーエスちゃんよ。良く考えろよ? 俺がお前に勝ったら、カルクに大きく恥を掻かせる事になるんだぞ〜?」
「それよりもっと心配な事がある」と、カルクが静かに横から言った。
「あん?」
「君が大会開始後すぐに負けて、ファトルエルの人達に恥を掻かせはしないだろうかとな」
「な、何ィっ!?」

 デュラスが初めて怒りを見せた。
 そしてその怒りはすぐに行動にあらわれる。
 つくった拳の中に光が満ちたかと思うと、その光の玉をカルクに投げ付けたのだ。
 しかしカルクは眉一つ動かさず、手の平を飛んでくる光の玉に向けると、それを受け止めて握りつぶした。

「助かったな、デュラス=アーサー。もし私が加減して擦り傷一つでも負っていたら君のその腕輪は砂に還っていただろう」

 大会中は正当防衛を除き、故意に参加者以外の人間に危害を加えてはいけない。これを破ると腕輪は砂に還ってしまう。大会規約その7だ。
 カルクは完璧な防御をしたため、傷を負わなかった。その為にデュラスはカルクに危害を加えた事にはならなかったのだ。

「く、く……」と、デュラスは顔を真っ赤にして声を漏らした。そして叫ぶ。

「ぶっ殺してやる! あんたの自慢の弟子を! 跡形もなく消し去ってやる! その次はてめェだ! カルク=ジーマン!!」


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 そんな訳で、彼等はこの場に立っている。
 デュラスは現在落ち着いてはいるが、先程の怒りは沈めてはいまい。
 ただ怒りのままに行動するとどうなるか、良く知っているだけに怒りを表に出せないだけだ。

(……来る!)

 カーエスの感じた通り、デュラスが動いた。
 右に巻いている流砂の縁を流れに逆らわずに走ってくる。

「我は得たり《地潜り》の力」

 魔法を詠唱が済むと、こちらに走ってくるデュラスの姿が地中に消える。
 流砂の流れを利用して自分に近付くつもりだろう、と考えたカーエスは足場から跳躍し、さっきまでデュラスがいたところのすぐ後ろに着地した。
 ここにいる彼をデュラスが攻撃するには砂の流れに逆らう必要がある。

 しかし予想は甘かった。

「な……!?」

 彼は突然、自分の真下に何かの気配を感じた。
 反射的に彼は詠唱を始める。

「我が足に宿れ《飛躍》の力!」

 そして足を屈伸してジャンプする。
 その後に続くように、カーエスの真下の地面が盛り上がり、中からデュラスが、アッパーカットのように腕を突き上げて現れた。
 しかしカーエスはそのシルエットを見た瞬間、違和感を感じた。
 《飛躍》で得たジャンプ力によって最寄りの足場まで移動すると、改めてデュラスを観察した。
 だがそこにいたのは人間ではなかった。全身が甲殻に覆われ、手が大きく鋭いハサミ状になっている。

 突然、観客席のところどころの客が沸いたように歓声を上げた。

「《適応》だ! “クリーチャー”デュラスの《適応》だ〜!」

 ファトルエルの住人達はそれはどう言う事なのかを知っていた。
 《適応》、これは読んで字のごとく、周りの環境に自分の身体を適応した形態へと変化させる魔法だ。
 デュラスはその魔法を使って、自らの身体を流砂の環境に適応させ、砂の流れに逆らう事もやってのけられるようになり、砂漠で闘うにもっとも適したハサミと、甲殻を手に入れたのである。
 この魔法こそが彼が“クリーチャー”と呼ばれる所以、そして、彼が厳しい環境のファトルエルで最強を誇る理由なのだ。

 流砂が渦巻く第二決闘場にて、観客達を沸かせる一戦、カーエス=ルジュリスVSデュラス=アーサー。
 自らの身体をその環境の闘いに適した姿に変化させる魔法《適応》を使用してからというもの、形勢は完全にデュラスの方に向いていた。
 正方形の決闘上の四隅を除いた全ての部分を占める流砂でなかなか身動きのとりづらいカーエスを相手に、デュラスは自由自在に動き、しかも地中に潜ったり、飛び出したり、まさに四方八方から攻撃を加えて行く。
 その凄まじい攻勢にカーエスはただただ、避けたり防いだりするのみだ。

「どうしたァ、カルクの弟子ィ! そんな事じゃ、お師匠様の名が廃るぜ!」と、今度はカーエスの背後からデュラスのハサミが襲う。
 その攻撃に対しカーエスは気付くと同時、ほぼ反射的に自分に対する物理攻撃を弾き返す《弾きの壁》の詠唱を始めた。

「弾くな、返……」
「甘ぁい! 我見たり、汝が《魔力の乱れ》!」

 文字どおり、魔力の流れを乱されたカーエスは魔導を中止せざるを得なかった。
 このように魔法には魔導を妨害する魔法もある。ただし、その魔法のタイミングは極めて難しく、失敗した時はかえって隙が大きくなる危険性もある。
 ただでさえ隙の出来る自分の攻撃中に、躊躇せずその魔法を使うのは、デュラスがいかに魔導士として優れているかを如実に物語っていた。

 こうして《弾きの壁》を返されたカーエスは一撃を見舞われる、次の一瞬を観客達のほとんどが想像した。
 しかしその予想は当たる事はなかった。
 カーエスは腰を低く身構えると、自分の顔面に飛んでくるハサミをひょいと避け、その次に飛んでくる当て身を受け流すべく、身体を左半身にして、ハサミを両手で掴み、それを捻りながら勢いを利用して引っ張る。
 するとふわりとデュラスの身体が浮き、流砂の中心に放り投げられたではないか。
 しかしここは足場の悪い流砂の中だ。カーエスも勢いあまってバランスを崩しその場に倒れてしまった。

 事はそれで終わらなかった。
 投げられたデュラスは何が起こったかは分からなかった。分かろうとしなかった。その代わりに必要な情報のみを手に入れた。
 自分の位置と自分の状態。そして、敵の位置と、敵の状態。
 彼は今の攻撃を凌ぎ切ったと安心しているに違いない。まだ落下するまでには時間はある、ただ黙って落ちてやる道理はない。
 そう考えた彼はその両手、もとい両ハサミの先に魔力を凝縮し光弾を作り出す。
 そして「喰らえっ!」と、それを倒れたカーエスに向かって投げつけ、その後、着地すると同時に地中へ潜り込んで行った。

 しかしカーエスは油断などしてはいなかった。
 それを仕掛けた張本人であるカーエスは、自分の状況をデュラスよりも遥かに多く掴めている。
 そして彼の師・カルク=ジーマンから教えてもらった原則を冷静に実行していた。

(どれだけ相手が不利な体勢になろうと絶対に攻撃を防ぎ切ったと思うな)

 そして自分に向かってくる光弾を目の端で捕らえると、手の平を魔力でコーティングし、受け止めて握りつぶした。


「ふむ」
「今のは良く防ぎましたよねぇ」と、盛り上がる観客の中で闘いを見守り、今の攻防に声を漏らしたカルクに応えたのは一見優男風の優勝候補・“双龍”のクリン=クランだ。

「彼、随分と押されているみたいですけど大丈夫ですかね」
「押されてなどいない。現にカーエスは傷一つ負っていないだろう」
「しかし攻撃の一つ一つが、もう少しでカーエス君にダメージを与えようとしてるんですよ? あっ、また!」

 観客席がどよめき、その一瞬後に観客が歓声を挙げる。
 クリン=クランが、今も攻撃を紙一重で防いだカーエスを指差した。

「ほら、あれで一撃でも当たったら、終わりですよ? 連発で攻撃入れられて……」
「ギリギリだろうと、余裕だろうと、防いだなら何もなかったのと一緒だ」
「でも反撃させてもらえないみたいじゃないですか」

 確かにカーエスはガードした後、すぐさま反撃に転じる姿勢は見せているようだが、もう少しのところでまた敵の攻撃が来て反撃を中止して防御している。

「いくらうまく防御出来ても攻撃しないと勝てないですよ」

 クリン=クランの問いにカルクは黙って首を横に振った。

「カーエスは少しずつだが攻撃している」
「え?」
「攻撃といっても、目に見える攻撃ではないがな、その効果も少しずつ出て来たようだ」

 意味ありげなカルクの言葉に、クリン=クランは闘う二人を注視した。
 しかし見られるのは変わらず、デュラスが連続で攻撃し、カーエスがギリギリのところで防御するその姿だけだ。
 相変わらず、ギリギリで。

「デュラスの攻撃が単調になってる!? まさか彼、狙ってやってるんですか?」

 平然とカルクは頷いた。

「当たりそうで当たらないのは当たる可能性が多分にあるという事だ。高確率のものに賭けているのに何回やっても残った可能性の結果になる。これは焦りを誘って異常に精神的に疲労する事に繋がる。
 更にあれだけ息もつかせず攻撃をしているんだ。肉体的にも大分疲労しているだろう。肉体と精神、二方面からの疲労は自ずと思考を奪い、攻撃も単調なものになってくる」

 人間を天井から吊るす時、一番効果的な高さはつま先を目一杯伸ばして五ミリくらいの高さが良いのだそうだ。
 足が付きそうで付けない高さ。
 その高さに吊るされた人間は楽になろうと必死で足を伸ばし、しかしいっこうに楽にならず、焦り、精神的に疲労してついには発狂してしまう事もあるらしい。

 デュラスも同じだった。
 一撃、たった一撃決まれば、カーエスは捕まり、幾らでも殴る事ができるだろう。
 何度も何度も攻撃して、後少しのところでいつも攻撃が尽きてしまう。
 相当焦りを感じているに違いない。

「攻撃が短調になれば、攻撃が確実に読めるようになる。そうなれば後は流れをひっくり返せばいい」


(何なんだ、コイツ……?)

 三十回目の連続攻撃を終え、デュラスは再び土の中に潜っていた。
 感覚も流砂の環境に適応し、彼は砂の上がどうなっているかを鮮明に感じる事が出来ている。
 今回も出来る限り攻撃を加えたが、後少しのところで攻撃が敵に届かない。
 ここまで敵に粘られるのは初めての体験だった。
 カーエスが闘うのを見るのは朝の雑魚戦を除くとこれが初めてで、実力がどの位のものか推測する材料すらない。
 ただ、師匠があまりに強いとその弟子、という立場は有名になりやすくとも、どうしても師匠より影が薄くなってしまいがちだ。
 そして、彼は“決闘の街”と呼ばれるファトルエルで最強無敵を誇るのだから、デュラスがカーエスを自分の下に見るのは仕方のない話だ。
 さらに実のところ、この慣れている者と慣れていない者との差が露骨に出る流砂の第二決闘場というステージは、《適応》の使い手、デュラスのもっとも得意とする場だった。
 格下相手にここまで有利な条件が揃っているのに、攻めきれない。
 デュラスにしてみると不可解な事この上ない状況だった。

(くそっ……! 次だ。次で捕まえて流砂の底に埋めてやる!)

 そうしてデュラスは、カーエスの次の最寄りの足場に飛び移る行動を予測し、底に向かって砂の中を水中にいるかのように泳いで移動する。
 目的地の真下に来て、カーエスが今まさに真上の地点に飛び移ろうとしているのを確認するとその顎目指して上昇を開始した。
 しかし、彼はその行動が数回前の攻撃と全く同じ行動である事に気が付かなかった。

 砂から出た彼の目の前には、彼の狙い通り、今まさに足場に着地せんとする無防備なカーエスの姿があった。
 彼はしてやったり、とその顔に笑みを浮かべその鋭利なハサミをカーエスに向かって突き出した。

(もらった!)と、彼は勝利を確信した。

 が、彼のハサミはカーエスに届く事はなかった。その直前に急にピタリと止まったのである。
 その瞬間、彼は自分がどんな愚かしい事をしてしまったのか、どうして自分のハサミがカーエスに届かないのか、そしてそれがカーエスの狙いであった事を、全て悟った。
 気が付くと彼はカーエスの張った《弾きの壁》に弾かれて地面に転がっていた。
 見上げるとそこには、この隙にすかさず次の魔法の詠唱に入っているカーエスの姿があった。

「大地に根付くもの、大空へと《打ち上げ》ん!」

 デュラスの巨体が逆バンジーよろしく勢い良く飛び上がる。
 彼の視界がいきなり大空のみになり、暫くして下を見るとファトルエル全体を見渡せた。
 彼の身体が細長い放物線を描き、落下を開始する。
 すると突然自分の身体が重くなったように感じると共に、落下速度が不自然に高まった。

(やられた……《更なる重力》だ)

 《弾きの壁》と共に朝の戦闘でカーエスが使った、一定範囲内にいる者全てに重力付加が与えられ、その落下速度を大きくしたり、身体の動きを鈍くしたりする魔法だ。
 あの時は『ルーフトー・レスト』の屋上から飛び下りて来た男に使ったが、今回は《打ち上げ》と言う魔法を併用してその十倍近い高さに彼の身体を飛び上がらせていた。
 地面が物凄いスピードで迫ってくる。
 彼は衝撃に備えて体勢を変え、心の準備をしたが、やはりその衝撃は柔らげ難く、地面と衝突した瞬間、肺の中の空気を全て吐き出し、背中を強かに打ち付け、その大きな振動が全身に響く。
 同時に《適応》による変身が解けた。

 何とか呼吸を整え、痛みで下まつげに張り付いている目蓋を押し上げると、仰向けになって倒れているデュラスをカーエスが覗き込んでいた。
 カーエスは勝ち誇った言葉を吐き駆けるでも無し、自分にとどめを刺すでも無し、ただ、彼の様子を伺っている。
 そんなカーエスに、デュラスは痛みに顔を引きつらせながら腕輪をした左手を突き出した。

「俺の…負けだ……お前の師匠の心配が現実になっちまったな」
「……せやな」と、カーエスは初めてデュラスに笑いかける。だが、その笑みには嘲りは一切含まれていない。ただ、デュラスがかろうじて言った冗談に笑っただけだ。
 そしてカーエスは差し出された左手から腕輪を抜き取り、砂に還した。
 この瞬間に決着は付き、その大会一番乗りの大番狂わせに第二決闘場からはファトルエル中に届くような大きな歓声が挙がった。

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